クロノトリガーのオーケストラはなぜ泣けるのか|音楽が30年前の冒険を連れてくる

ネタバレ注意

ネタバレを含みますので、未クリアの方はご注意ください。

『クロノ・トリガー』の音楽をオーケストラで聴く。

冷静に考えれば、ただそれだけのことです。

スーパーファミコンの音源で作られた曲を、ヴァイオリンやチェロ、トランペットやホルンで演奏する。

ゲーム音楽をオーケストラ用に編曲すること自体は、今ではそれほど珍しいことではありません。

ところが。

「風の憧憬」の最初の数音が流れた瞬間、そんな理屈は全部どうでもよくなります。

頭の中に草原が見えます。

中世の街が見えます。

そしてなぜか、自分が昔ゲームをしていた部屋まで思い出します。

クロノトリガーのオーケストラが鳴らしているのは、ゲームのBGMだけではありません。

もしかするとあれは、

僕たちがクロノ・トリガーを遊んでいた「時間」そのものを演奏しているのかもしれません。

目次
  1. スーパーファミコンの音なのに、最初から世界は広かった
  2. 「風の憧憬」を聴くと、なぜ旅に出たくなるのか
  3. カエルのテーマには「勇者」がいる
  4. オーケストラ化とは「豪華にすること」ではない
  5. 30年経っても、クロノトリガーの音楽は鳴り続けている
  6. 「遥かなる時の彼方へ」が最後に待っている

スーパーファミコンの音なのに、最初から世界は広かった

1995年に発売された『クロノ・トリガー』。

音楽の中心を担ったのは、光田康典さんです。

ゲームを遊んだことがある人なら、タイトルを聞くだけで何曲か頭に浮かぶのではないでしょうか。

「クロノ・トリガー」

「風の憧憬」

「カエルのテーマ」

「時の回廊」

「世界変革の時」

「遥かなる時の彼方へ」。

不思議なのは、これらの曲がもともとスーパーファミコンという限られた音源の中で作られていたことです。

現代のゲームのように、本物のオーケストラをそのまま録音できたわけではありません。

使える音色も、容量も限られていました。

それなのに、僕たちはそこに草原の広さを感じました。

古代文明の神秘を感じました。

滅びた未来の寂しさまで感じました。

つまりクロノトリガーの音楽は、豪華な音によって世界を作っていたわけではありません。

メロディそのものが世界を作っていたのです。

だから30年後、本物のオーケストラを与えられても壊れません。

むしろ、

「この曲、本当はこんなに大きな景色を持っていたのか」

と思わせてくれます。

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「風の憧憬」を聴くと、なぜ旅に出たくなるのか

僕がクロノトリガーの音楽で特に面白いと思うのが、「風の憧憬」です。

ものすごい戦闘が始まる曲ではありません。

世界が滅びる場面でもありません。

中世のフィールドを歩いているときに流れる曲です。

それなのに、この曲を覚えている人はとても多い。

たぶん理由は、この曲が出来事ではなく、

「旅をしている感覚」そのものを音楽にしているからです。

知らない土地に来た。

少し不安です。

でも先に進みたい。

どこか懐かしい気もします。

言葉にすると曖昧な感情を、「風の憧憬」は数分間の旋律で表現してしまいます。

そしてオーケストラになると、その感覚がさらに広がります。

ストリングスが旋律を支え、管楽器が奥行きを作り、音がホールいっぱいに広がっていきます。

スーパーファミコンの画面では数十ドットしかなかった草原が、

突然、地平線まで続いているように感じます。

ゲーム機の性能が上がったわけではありません。

こちら側の想像力が、オーケストラによって拡張されているのです。

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カエルのテーマには「勇者」がいる

クロノトリガーの音楽には、キャラクターそのものになっている曲も多くあります。

その代表が「カエルのテーマ」でしょう。

カエルというキャラクターを知らない人が曲だけ聴いても、

「なんだか勇敢な人が出てきそうだな」

と思うのではないでしょうか。

実際、オーケストラとの相性は抜群です。

金管が鳴ります。

弦が走ります。

打楽器が背中を押します。

すると、あの小さなドット絵のカエルが、とんでもなく巨大な英雄に見えてきます。

しかし面白いのは、カエルが最初から完全無欠の勇者ではないことです。

後悔があります。

敗北があります。

過去を背負っています。

それでも剣を取ります。

だから「カエルのテーマ」は、単なる勇ましい曲ではありません。

一度折れた人が、もう一度立ち上がる音楽なのだと思います。

オーケストラになることで勇壮さは増します。

しかし同時に、その裏側にある寂しさまで聞こえてくる気がします。

これがクロノトリガーの音楽の強さなのではないでしょうか。

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オーケストラ化とは「豪華にすること」ではない

ゲーム音楽のオーケストラ化というと、

「音が豪華になる」

という説明をされることが多いです。

もちろん、それも間違ってはいません。

でもクロノトリガーの場合、それだけでは少し足りない気がします。

オーケストラには何十人もの奏者がいます。

同じ旋律の中でも、ある楽器が前に出て、別の楽器が支え、また別の楽器が小さな音を加えます。

一つだった音楽の中から、いくつもの表情が現れます。

すると不思議なことが起こります。

昔から何百回も聴いている曲なのに、

「こんなメロディが裏で鳴っていたのか」

と気付くのです。

つまりオーケストラ化とは、元の音楽を別物に作り変えることではありません。

むしろ、

30年間知っていたはずの曲を、もう一度初めて聴かせてくれる作業なのだと思います。

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30年経っても、クロノトリガーの音楽は鳴り続けている

『クロノ・トリガー』が発売されたのは1995年です。

それから30年。

ゲーム機は何世代も変わりました。

グラフィックは3Dになり、音源も比較にならないほど進化しました。

それでも「クロノ・トリガー」「風の憧憬」「時の回廊」といった曲は、今も演奏され続けています。

これはよく考えると、とても不思議なことです。

当時の最新技術だったから残ったわけではありません。

むしろ技術だけを見れば、現在のゲーム音楽のほうが圧倒的に豪華です。

それでも残っています。

たぶん、音の豪華さではなく、

旋律そのものが人の記憶に残る形をしていたからです。

スーパーファミコンでも成立します。

ピアノでも成立します。

オーケストラでも成立します。

楽器が変わっても、曲の芯が消えません。

これは強い音楽の条件なのだと思います。

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「遥かなる時の彼方へ」が最後に待っている

クロノトリガーというゲームは、時間を旅する物語です。

原始。

中世。

現代。

未来。

古代。

さまざまな時代を行き来しながら、クロノたちは世界の運命を変えていきます。

だからエンディング曲のタイトルが、

「遥かなる時の彼方へ」

なのは、あまりにも出来すぎています。

ゲームが終わります。

テレビの画面からクロノたちはいなくなります。

セーブデータだけが残ります。

そしてプレイヤーも大人になります。

学校へ行き、仕事をして、家庭を持った人もいるでしょう。

スーパーファミコンを処分してしまった人もいるでしょう。

30年という時間は、ゲームの中よりも現実世界のほうがずっと容赦なく進んでいきます。

それでも。

オーケストラであの旋律が鳴った瞬間、

1995年と現在がつながります。

クロノたちが時を超えたように、

音楽もまた、時間を超えてしまいます。

だからクロノトリガーのオーケストラを聴いて泣いてしまうのは、単に「昔のゲームを思い出したから」ではないのかもしれません。

そこにはクロノの冒険だけではなく、

自分がこれまで歩いてきた時間まで入っています。

ゲーム音楽だったはずなのに。

気付けば、自分の人生のBGMになっています。

そんな曲に出会えるゲームは、そう多くありません。

『クロノ・トリガー』という作品が今も語られ続けている理由は、ストーリーでも、鳥山明さんのキャラクターでも、豪華な制作陣でも説明できます。

でも僕はもう一つ、

電源を切ったあとも終わらなかった音楽

があったからだと思っています。

クロノトリガーの物語には、いつかエンディングが来ます。

けれど、その旋律だけは終わりません。

30年経っても。

50年経っても。

きっとまた、どこかの時代で鳴り始めます。

遥かなる時の彼方から。